若い人に、時々いるので、「そんなことはない」と、言うのですが、
心が病んでいた方がいい作品ができると、錯覚して、自分の病気を治そうとしない人がいます。
病む事も、ひとつの経験ですから、
その経験が、表現に生きる事もあるでしょう。
でも…その経験を生かすには、力が必要になります。
ものを作るには、とてつもないエネルギーが必要です。
病んでいては、そのエネルギーを出しきれません。
そして、演劇は、皆で作り上げる芸術です。
病んでいると、優先順位を見失ったり、些細なことに傷ついたりして、
どうでもいい事にエネルギーを割いてしまいます。
場合によっては、仲間の力も奪ってしまいます。
(その仕組みについては、また、長くなるのですが、
集団創作をやっている方は、詳しい理屈を知らなくても、感覚で、理解できるかと思います)
「負のエネルギーがある」と、言う人もいますが、
負のエネルギーを育てると、さらに、自分の中にある栄養素を消費します。
そして、さらに、自分の体を削ります。体が枯渇していても、
視えない力が働いて、表現が無限に出てくると思う方は、好きなだけ、やってみるといいと思います。
運がよければ、体で、理解するでしょう。「別に、作品は良くならない」と。
病んでいれば、いいものが出来るなんて、すごい悲しい発想です。
でも、そういう事を言う人は、だいたい「傷つきたくてうずうずしている人」なので、「悲しい」と言うと、「まあ、幸せな人には分からないよね・・・」と、喜んでしまうので、ときどきは、こう言います。
「病んでればいいものが出来るなんて、甘えないで。表現はそんなに簡単なものではないんだよ」って。
…いま、私が厳しい事をいうことって、ほとんどないんですけど、
その人の事を思って、ことばを、出せる事もあります。
心を病むことは、「がんと同様に」、珍しい事でもなんでもなくなりました。
「過去の経験が」とか、「トラウマが」とか、「遺伝が」と、言う方がいますが、
私は、根本的な原因が、別の場所にある事を知っています。
でも、過去の経験のせいにしている人たちには、それが視えません。
…それは、過去の私をみているようです。
自分の、感性の邪魔をしているものは何かと、体に聞いてみると、
感性が、正常に働いていれば、「本当は、よりよく表現する事が出来るんだ。この体には、もっと、可能性があるんだ」という、体の声が聴こえるかもしれません。
でも、「そうか!病気を治そう」と、心療内科に直行するのも、全然、根本的な解決にならないんですけどね。